呼子 鯨組主 中尾家 屋敷

呼子の朝市を歩いた後、鯨組主中尾家屋敷に行きました。

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これは江戸時代に巨万の富を築いた鯨組主の屋敷を公開しているものです。
1700年代の建物が現存しているということにも驚きました。また梁の太さや長さ、また大黒柱の巨大さにも圧倒されました。
残念ながら中は写真撮影禁止でしたが、大好きな鯨で儲けた商家ということで、興味を持って見学することができました。

捕鯨基地となったのは呼子の沖合に浮かぶ小川島で、ここ呼子には本社組織があったということです。小川島には「鯨見張所」「鯨鯢供養塔」が残っていて、「鯨骨切り唄」「ロクロ巻上げ唄」などの作業唄も残ってそうです。(この建物の裏の倉庫にあった展示の受け売り)

江戸時代に繁栄した中尾家も、江戸末期からの近代捕鯨の影響で、明治の初めに廃業。残された捕鯨作業員で新たな組織を小川島で作り、昭和30年代半ばまで捕鯨は続いたそうです。

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鯨の生殖器。1m以上もあり、巨大です。

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明治になり廃業した「旧中尾家住宅」はその後、蔵元「山下酒造場」に買われ、酒蔵として利用されて来ました。「山下酒造場」は「松浦誉」という銘柄で佐賀県では有名だったそうですが、現在は廃業しています。

平成9年、海側に建てられた、藩主なども泊まったと伝えられる観濤閣が、老朽化のために解体されることになりました。そのときに建物の中から17xx年建立みたいな文字が出て、母屋が1700年代の建築ということが判明したそうです。
こちらはその観濤閣の跡です。

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こちらの館長さんによるガイドツアーを受けたおかげで、この建物や呼子の捕鯨についてにわかに詳しくなることができました。

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